「霧島山/宮崎県・鹿児島県」

2023年01月20日

霧島山(きりしまやま)は、宮崎県と鹿児島県県境付近に広がる火山群の総称であり、霧島連山、霧島連峰、霧島山地あるいは霧島火山群
 とも呼ばれる。最高峰の韓国岳(からくにだけ、標高 1,700m)と、霊峰高千穂峰(れいほうたかちほのみね、標高 1,574m)の間や周
 辺に山々が連なって山塊を成している。有史以降も噴火を繰り返す活火山(気象庁の活火山ランク付けは「B」)であり、特に新燃岳(し
 んもえだけ)と御鉢(おはち、みはち)では活発な火山活動が続いている。「火山噴火予知連絡会」によって火山防災のために監視・観測
 体制の充実等の必要がある火山に選定されている。北海道の大雪山と同様に霧島山という固有の山はなく、個々の山岳はそれぞれ個別の名
 称で呼ばれる。山岳群に加えて大小の湖沼群を抱え、高千穂河原(たかちほがわら)やえびの高原、霧島温泉郷などの観光地に恵まれる。
 山塊の中心部は「霧島錦江湾国立公園(霧島地域)」に指定されている。「日本百名山」、「日本百景」の一つであり、2010 年(平成
 22年)9 月にはジオパークの一つとして認定された。北部は加久藤盆地(かくとうぼんち)、北東部は小林盆地、南東部は都城盆地(み
 やこのじょうぼんち)、南部は高隈山地と姶良台地(あいらだいち、「シラス台地」)、南西部は北薩(ほくさつ)火山群、北西部は肥薩
 火山群に隣接する。日本でも有数の多雨地域であり、年間降水量は 4,500 ミリ以上に達し、このうち約半分は 6 月から 8 月に集中して
 いる。霧島山の北東山麓は古くから馬の産地として知られており、薩摩藩も多くの牧場を所有していた。明治維新後も多くの国営牧場が設
 置され軍馬が産出された。第二次世界大戦後は民間に払い下げられ牛や豚による畜産が盛んな地域となっている。また、茶(鹿児島茶)の
 栽培も盛んである。古代においては天孫降臨説話の舞台とされ、高千穂峰の山頂には天孫降臨に際して逆さに突きたてたという「天の逆
 鉾」が立てられている。「霧島」が最初に文献に登場するのは 837 年(承和 4 年)8 月の続日本紀(しょくにほんぎ)であり、諸県郡の
 霧島岑神社(きりしまみねじんじゃ)を官社とする旨が書かれている。「霧島」の語源はこの地を遠望すると、韓国岳をはじめとする霧島
 連山が、霧の海に浮かぶ島のように見えることからという説。また、建国神話の舞台、高千穂峰に天孫降臨があったとき、霧が深く、物の
 姿がわからなかったため、神に祈り、高天原(たかまがはら)から持参した稲穂をまいたところ、たちまち霧が晴れたという故事からきた
 という説もある。他に、イザナギがカグツチ(記紀神話における火の神)を斬った故事にちなんで「切り嶼(きりしま)」と名付けられた
 とする説や、火山活動による噴煙を霧に見立てたとする説などがある。古代から山岳信仰の対象となっており、中世においては修験道の霊
 山であった。10 世紀中頃に性空(平安時代中期の天台宗の僧)が修行に訪れ、山中の様々な場所に分散していた信仰を天台修験の体系と
 してまとめ、霧島六社権現として整備した。軍神であるヤマトタケルを祀っていたことから、南北朝時代に勢力を伸ばした島津氏に信仰さ
 れ、九州南部各地に霧島神社が建てられた。近世に入って 1714 年(正徳 4 年)に霧島山南西部で硫黄谷温泉(霧島温泉郷)が発見され
 温泉保養地として知られるようになった。1866 年には坂本龍馬・おりょう夫婦が新婚旅行に訪れている。1929 年(昭和 4 年)には林

 田温泉が開発され、1934 年(昭和9年)3 月 16 日に日本で最初の国立公園(霧島国立公園)に指定された。1950 年代後半になる
 と、えびの高原や高千穂河原が登山拠点として整備され多くの登山者が訪れるようになった。