「かぶら寿し/石川県」

2023年08月03日

かぶら寿し(かぶらずし)は、かぶらに切り込みを入れ、ブリを挟んで発酵させたなれずし。石川県の加賀地方産のものが全国的に有名だ が、富山県西部など、能登地方を除く旧・加賀藩の地域で広く作られる。金沢の冬季を代表する料理の一つであり、正月料理とされる。独 特のコク味や乳酸発酵による香りがあり、酒の肴としても知名度が高い。野菜を一緒に漬け込む事から飯寿司にも分類されるが、ハタハタ 寿司など東北地方の飯寿司と比べると野菜の比率が高く、漬物に近い。原料のかぶらやブリは、かつては収穫時期が限られ貴重で高価だっ た事から、入手しやすい大根と身欠きにしんで作る大根ずしの方が、より広域で作られてきた。なお、富山市で 1957 年(昭和32年) から発売されている「ぶりのすし」は、押し寿司だが酢漬けのかぶらとブリを使うため材料に共通性がある。江戸時代初期から金沢で作ら れているが、詳細な起源は不明。伝承としては、「金沢の宮腰(みやのこし)に住む漁師がカブにブリの切り身を挟んで麹に漬けこみ、正 月の起舟を祝う料理とした」、「前田氏の当主が深谷(ふかたに)温泉で食べて広まった」などの説がある。1757 年(宝暦7年)頃に は、このわた(ナマコの内臓の塩辛。)などとともに「かぶら鮓」を年賀の客に出したという記録がある。また、現在の金沢市高岡町に住 んでいた金子有斐の『鶴村日記』には、1826年2月9日(文政 9 年1月3日)に魚屋から「鰤のすし」を贈られたと記されている。 魚屋だけでなく、表具師、髪結いなどの商人は、得意先に対して年初にかぶら寿司や大根ずしを贈る風習があった。かぶら寿司は武士など
 身分の高い人々、大根ずしは一般人が、それぞれ主に食べていたと見られる。明治時代に入っても年初にかぶら寿司を贈る風習は続いた が、やがて廃れていった。その一方で、1920年代頃からは一般家庭でもかぶら寿司を作るようになった。同時期に商品化に取り組んだ 業者もあったが、販売量は伸びなかった。第二次世界大戦後に経済情勢が回復すると、1953 年(昭和28年)頃から進物用のかぶら寿 司の販売が増え始めている。1955 年(昭和30年)頃からは家庭での漬けこみが減少するようになり、またポリエチレンの容器を用い てチッキ(運輸業者による「託送手荷物」のうち、鉄道による手荷物輸送、またはその手荷物のこと。)などで遠方に輸送する事が可能に なった。1965 年(昭和40年)頃からはかぶら寿司を本格的に製造する漬物業者が増加し、1972 年(昭和47年)頃からはリバイバ ルブームなどで需要が急増した。さらにマスコミの宣伝などによって知名度が高まり、参入する業者はさらに増え、航空貨物や宅配便の普 及を受けて全国各地で消費されるようになった。近年では高級な贈答品としての需要が根強い。作り方であるが、主に 11 月から 1 月に かけて製造する。切れ込みを入れたかぶらを塩漬けにし、同じく塩漬けにしたブリの切り身やニンジン、昆布を切り込みに挟む。石川県で は、かぶらを輪切りに、富山県では半月切りまたはいちょう切りにする事が多く、また富山県ではブリではなく主にサバを使う。また、か
 ぶらとして特に「百万石青首かぶ」を使ったり、魚として鮭や鰊を用いるケースもある。人参は千切りにするが、金沢市では花形に切る。 米麹を加えて重しをかけ、数日間または 2 - 3 週間かけて本漬けすることで、米のデンプンによる糖化と乳酸発酵が甘味、酸味、うま味や 独特の風味を形成する。なお、伝統的な製法においては酸味料や砂糖は添加しないが、市販品では酢や砂糖、ステビア(南アメリカ原産の キク科の多年草で作った甘味料)などを加えて酸味や甘味を調整する事もある。本漬けの間に、デンプンの分解物であるグルコース(ブド ウ糖)やマルトース(麦芽糖)、かぶに含まれるグルコースやフルクトース(果糖)によって、乳酸菌の増殖