「洞爺湖/北海道」

2022年12月13日

洞爺湖(とうやこ)は、北海道虻田郡洞爺湖町と有珠郡壮瞥(そうべつ)町にまたがる湖。二級河川の長流川(おさるがわ)水系に属する。周辺が「支笏洞爺国立公園」に指定されており、洞爺湖有珠山ジオパークとして「日本ジオパーク」「世界ジオパーク」に登録されている。また、「日本百景」「新日本旅行地100選」「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選定されている。

北海道南西部に位置し、「洞爺カルデラ」内にできた湖。面積は日本で9番目、カルデラ湖としては屈斜路湖(くっしゃろこ)、支笏湖に次いで日本で3番目の大きさである。東西約11km、南北約9kmのほぼ円形の湖で、有珠山・昭和新山・洞爺湖温泉などがあり北海道有数の観光地域となっている。中央に浮かぶ「中島」(面積 4.85)の最高点トーノシケヌプリ(標高 455m)を中心として東北東~南東~南南西にかけてが壮瞥町、それ以外が洞爺湖町になっている。なお、中島には1960年(昭和35年)頃に2世帯6人の定住者がいたが、現在は定住者はいない。湖の名前は、アイヌ語の「トヤ(to-ya)」(湖・岸)に由来する普通名詞。本来は湖の北岸を指す地名であったが、和人によって洞爺と当て字され、湖の名となった。現在では湖の北岸である本来のトヤは、「向洞爺」と呼ばれている。アイヌの人々は単に「ト(to)」(湖)と呼んでいたと考えられる。元々は極貧栄養湖で透明度は高かったが、閉山した鉱山廃水や洞爺湖温泉街をはじめとした排水の流入が増えていったため透明度の低下が著しい。1920年(大正9年)に電源開発を目的に流出河川に建設された壮瞥発電所と、長流川の川水を利用した洞爺発電所、さらに従来流入していなかった長流川上流部に建設された久保内ダムなどにより、長流川の川水が流入することになった。長流川上流には1907年(明治40年)頃より相次いで操業していた幌別硫黄鉱山、徳舜瞥(とくしゅんべつ)鉱山、弁景(べんけい)鉱山があり、1939年(昭和14年)から1973年(昭和48年)の閉山までpH2ほどの鉱山廃水が洞爺湖に流入し続けた。湖水は1970年にpH5まで酸性化し続けた結果、多くの生物が死滅した。これに伴い、1973年(昭和48年)から長流川上流の鉱山廃水の中和事業が本格的に行われた[。また、1977年(昭和52年)の有珠山の噴火によって大量の火山灰が洞爺湖へ降り注いだことから、アルカリ性の火山灰によって酸性の湖水が中和され、1995年(平成7年)にはpH7前後まで回復した。ただし、中和事業による作用と火山灰による作用のどちらが有効だったのかは不明である。